東国原元知事の「小さなノート」の秘密
「小さいノート」は使うな!
と、『頭がいい人はなぜ、方眼ノートを使うのか?』を通してお伝えしてきました。
そのため、「絶対、小さいノートは使ってはダメですか?」と聞かれます。
そのとき、決まって、「ノートを見せてください」と言ってノートを見せてもらいます。すると9割以上のケースは「ノートサイズは思考サイズ。今すぐノートのサイズアップをしてください」とお伝えして、その場で、ノートのサイズが大きくなることで視野が広がり、思考整理がスムーズにできることを実感いただきます。
では、残りの1割はどうか。1割の人については、「そのままでも大丈夫です」と言います。なぜか?それは、その人はノートサイズが小さくても、長年培ってきた「ノート=思考整理する道具」として使いこなす技がキラリと光るからです。
こうした経験から、1割の天才(独自に工夫しながら、ノートサイズにかかわらず思考整理をできるやり方を体で身につけている人。あるいは、そもそも高速の思考回路を身につけている)は小さいノートでもOK。ただ、9割の普通の人は多くのケースは、ノートのサイズアップで、思考サイズをアップすれば、思考整理力がノートで変わります。
1割の天才の例として東国原元知事の「小さなノート」があります。
プレジデントオンライン:東国原知事の秘密の成功ノート
PRESIDENT 2009年2月2日号
僕はできるだけ手書きでやっている。
僕のノート術の基礎は中学時代にマスターした。
「13歳のノート進化論」。東国原元知事も「中学時代」にその後の一生に大きな影響をもたらす「頭がよくなるノート」のとり方をマスターしていたということは、「13歳のノート進化論」を裏付ける事実でもあります。
僕がノートづくりで工夫した点は、講義の内容に対して自分なりに考えたことや思いついたこと、疑問点、あとで質問したい項目などをメモしていたことだ。
こうすることで、その時々に感じた問題意識をノートの中で解決していた気がする。
この「自分の考え」「気づき」「疑問点」「質問したいこと」をきちんとノートに書き出す「考えるノート習慣」がすでに中学時代から磨かれていった奇跡をみることができます。
僕が実践している記憶術は、他人に尋ねること。他人から教えてもらったことは不思議と記憶に残る。ことわざでも「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」というが、他人に尋ねると恥ずかしい思いをするためか、妙に記憶に残る。
そして、もう一つは、自分の手で書いて覚えること。簡単に、たくさん覚えられるといった記憶術の本がいっぱい出ているが、僕はあんまり信用していない。記憶するには、努力と反復練習しかない。スポーツで体を鍛えるのと同じように脳も鍛えるのものだと思っている。
「他人に尋ねる」記憶法というのは、普段何気なく誰もがやっていることではありますが、「これが記憶法」と自覚してやっている人というのは案外少ないもの。また、「体で覚える」のが記憶のキホンの「キ」であるにも関わらず、こちらも案外できていないもの。やはり、一流と言われる人たちは、特別なことより「誰でもできるけど、やっていない」基本を徹底することで「いま」があるんだと、つくづく思うわけです。
この記事を読んで、「自分も、小さいノートでもOK」と思いましたか?
「13歳のノート進化論」と同時に「秀才のノートはマネしても、天才のノートはマネするな」という仮説があります。なぜか?
この「天才のノートはマネするな」という仮説については、また日を改めてお伝えします。