1969「知的生産の技術」
まずは、次の文章をお読みください。
「あたらしい時代における、個人の知的武装が必要なのである。
…社会には、大量の情報があふれている。社会はまた、すべて
の人間が情報の生産者であることを期待し、それを前提として
くみたてられてゆく。ひとびとは、情報をえて、整理し、かん
がえ、結論を出し、他の個人にそれを伝達し、行動する。それは、
程度の差こそあれ、みんながやらなければならないことだ。」
さて、質問です。
この文章はいつ書かれたものでしょうか?
いかがですか?
答えは「1969年」です。
湯川秀樹は「一種の技術の問題」と言った
冒頭で紹介した一節は、
ノーベル賞学者の湯川秀樹先生が
「それはやはり一種の技術の問題ではないか」
と言い、そのタイトルに貴重なヒントをもたらしたことで有名な古典的名著
『知的生産の技術』(梅棹忠夫、岩波新書)の中に登場します。
この本のまえがき部分には、著者の梅棹忠夫さんが、この本を書いた理由が書かれています。
それは、
「知的生産の技術=知識の獲得のしかた」は、
「みんながやらなければならないこと」だけど、
「学校では知識は教えるけど知識の獲得のしかたはあまり教えてくれない」
そこにある現実です。
そもそも、知的生産とは?
あなたは、
『知的生産の技術』を読んだことがありますか?
私たちが、いまはよく耳にするようになった「知的生産」という言葉。
そもそも、知的生産とは何でしょうか?
「知的生産というのは、頭をはたらかせて、
なにかあたらしいことがらーー情報ーーを、
ひとにわかるかたちで提出することなのだ、
くらいにかんがえておけばいいだろう」
と梅棹忠夫さんは言います。
そして、その
知的生産の技術=
知識の獲得のしかた=
情報を得て、情報を整理し、考え、結論(新しい価値ある情報)を生み、
人にわかるカタチで手渡す
ことは、すでに1969年の時点で
「みんながやらなければならないこと」
「学校では知識は教えるけど知識の獲得のしかたはあまり教えてくれない」
と梅棹忠夫さんは指摘され、具体的な「知的生産の技術=知識の獲得のしかた」を手渡してくれています。
インターネットすら、情報化社会とか、知識社会とかいう言葉が一般化していない
半世紀以上前のこの指摘は、じつは、大事なことだけど、いまだ学校では教えてくれないことです。
「知的生産の技術=知識の獲得のしかた」 をマスターするために必要なことは何か?
読み・書き・プレゼン「知的生産の技術」
梅棹忠夫さんは、
・「読みっぱなしでは効果はうすい」
・「ノートを進化させる」
・「メモをとるしつけ」
・「人にわかるカタチで提出する」
など、「読み・書き・プレゼン=知的生産の技術」について具体的なやり方を指南してくれます。
今日のこの情報を得て、あなたは何を「考え」、どんな「結論」を出しますか?
1969「知的生産の技術」✕2014「方眼ノート」
知的生産の技術については、こちらでもお伝えしています。
これは、『頭がいい人はなぜ、方眼ノートを使うのか?』を書き終えて、
ふと『知的生産の技術』を手にしたときに気づいたことなのですが、1969年の時点で、
梅棹忠夫さんはすでに「ノートの進化!」を提唱し、
「1ページ1項目」「切り離して使う」「メモは難しい」
など、『頭がいい人はなぜ、方眼ノートを使うのか?』の中に登場する「頭がよくなるノート」の
ポイントと同じ点を指摘されています。
1969「知的生産の技術」✕2014「方眼ノートの技術」
というテーマで4日間にわたりメール講座(vol.030〜)にて、
「知的生産の技術」と「方眼ノートの技術」の交差点にあった「3つの鍵」について
おはなししています。ご興味がありましたら、ぜひ。
いまだから…『知的生産の技術』
この記事を読みになって「知的生産の技術」にご興味をもたれた方は、
『知的生産の技術』を読んでみてはいかがでしょうか?
また、すでに『知的生産の技術』を読んだことがある、という方は、
この本が出版されてから半世紀がたったいま、この本を読み返してみてください。
「これって、いまが書かれている…」
私が、久しぶりにこの本を読み返したときに感じたことです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4004150930/takahashimasa-22/ref=nosim
いかがでしたか?参考になれば幸いです。
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