「違和感」の正体
【20年以上抱えてきた「違和感」の正体】
が見えました。いまは目覚めて3時間ほど。
この20年以上、私の無意識下にあった「巨大な問題(テーマ)」についての「確かな視点」を手に入れました。告白すると、これまで、MBAや組織論をはじめとしたビジネス知識を学ぶ・教える、ロジカルシンキング、KJ法、クリティカルシンキング、ビジュアルシンキング、マインドマップ、全脳思考といった思考メソッドを学ぶ・教える、ことをしてきて感じきた「違和感」がありました。
その「違和感」の正体とは何だったのか?それは、知識を学ぶ、思考法を学ぶ、その大前提に、切ないほどかけがいのない・・・大切なものがあった!ということです。まだ、とらえた何かをうまく言葉に置き換えて表現することができていないのですが、あえて「言葉」にしてみると、
・自分にとってリアル感のある「日本語」と「論理語」を扱えること
ここでのポイントは「リアル感」。
記号としての日本語を並べるのではなく、自分が書く・話す「日本語」に自分という存在から湧き出る「熱」がきちんとのっていること。
そして、参考書の解法を暗記した数学の証明問題を解くように、形式的に「論理」を展開するのではなく、そこにある「ロジック(論理)」「筋道」を見つけた「感動」がその「論理」に息づいていること。
そう、「リアル感=生きた人間の熱と愛」がふんだんに注ぎ込まれた「日本語」と「論理語」を扱えること。
そのことが、あらゆる知識、思考法を学ぶ上での大前提。
本当なら、感性豊かな子供のころに、歯磨きと同じように、無意識にできる習慣(脳のクセ)として体に刻み込んでおくのことが必須。
もし、子供のころに運良く、リアル感のある「日本語」と「論理語」を手にしているなら、その人の目の前に人生はまるで別のシナリオを用意してくれる。でも、もしそうした幸運が訪れなくても、大丈夫!
そうした幸運に身を任せることなくても、大人になってからでも、いま、この瞬間からはじめられる「地道な習慣」があります。
それは「ノートを進化させる」こと。
そして「生きたノートを書く=自分の人生をリアル感で充たしていく」。
具体的には、方眼ノートという「思考の整理棚」の上に、「自分」にとって「リアル感」の「日本語」と「論理語」でもって、愛する人のために、冷めない情熱を注ぎ込んでとりくめるテーマについて、思考を巡らせ、それを文章でもって表現していく。
四半世紀くらいかけて、ものすごい遠回りをして、たどり着いた「確かな視点」。
すべての基本は、生きた「日本語」と「論理語」を扱えること。
そして、
・方眼ノートという「思考の整理棚」の上に、
・自分にとって「リアル感」のある「日本語」と「論理語」で、
・愛する人のために、冷めない情熱を注ぎ込めるテーマを設定して、
・「空雨傘」で、画がありありと浮かぶ「ロジック」を展開していき、
・自らのその手で、夢のまた夢だったような未来を出現させていく人たち。
そのために、わたしだから「できる!教育」を手渡していくこと。
それが自分の使命であるとともに、ライフワークであることを、心の奥底で感じています。
これから先、残された自分の人生の時間の中で、この使命をどこまでまっとうできるか・・・。そう考えると、すこし切ない感覚がありますが、果てない夢に目覚めて、今日を、そして明日を生きていきます。
まだ、灯りがともった段階(仮説のレベル)。この仮説をカタチにするために、これから何年、いや何十年かかけて、世の中に手渡してけるよう、日々、精進・修練していきます。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!