文章がうまくなる「本の読み方」
【「本を読む」となぜ、「文章を書く」のがうまくなるの?】
という話になりました。土曜の昼下がりのひとときです。
「最近、本を読んでいますか?」
私は、いま読書週間よろしく1日1冊小説を読むなんて日もあります。おかげで、毎日寝不足ですが、でも、やめられない、とまらない、心が左に右に揺り動かされてしまいます。
で、いまは暇かというと、締め切りの原稿に追われ、切羽詰まっている状態。というと、小説を読むのは現実逃避?たぶん50%くらいはその可能性が大。でも、残りの50%は「文章を書く」のがうまくなるからです。
文章を書くのがうまいかというと、決してそんなことはありません。でも、文章を書くのに行き詰まることがグンと少なくなります。スラスラ書けるというと語弊があるかもしれませんが、とにかくノンストップで、気持ちが乗って文章を書くことができます。
そう、忙しいときほど、小説を読む。なぜか、「忙=心を亡くす=モチベーションがグンとダウン」し、それとともに、心の躍動感とかしなやかさがなくなり、文章がゼンマイ仕掛けの動きの悪い時計のように、カタカタぎこちなくなってしまうから。
そう、「文章を書く」ためのガソリン、整体のような行為が、私にとっては「本を読む」こと。
小説家がなぜ、あれほど長きにわたり小説を書き続けることができるのか。多くのケースは、小説を読むのも書くのも大好きだから。「読めば、書ける」。でも、そのためには、歯磨きのように「小説を読む(なぜビジネス書ではないのかというと、短い時間で、ふっと、体の芯の部分の振動しだして、心の奥底でくすぶっていたマグマが吹き出してくる。
すると、書ける。わけです。
ぜひ、
・「文章を書く」のに行き詰まりを覚える・・・。
・「文章を書く」のが機械的で、ぎこちない・・・。
・「文章を書く」ことをしているけど、心が聞こえない・・・。
ということがありましたら、心のカロリーになる、芯から自分を揺さぶってくれる小説をどうぞ。
「週末くらいは、小説の時間にしようか」
「とっておきのカフェの指定席とっておいたから」
と、目の前の本が語りかけてくれる。
いま、神保町。なぜか、本との距離感がグッと近づくとき、このまちに吸い寄せられてくるようです。そこに息づく本を愛してきた人とたちの空気感に包まれて、本のささやきに耳を澄ましてみる。これって、もしかすると、ときとして海外旅行に匹敵する何かを心の奥底にさりげなく残してくれるのかもしれませんね。
追伸
あっ、だからといって文学少年というわけではありません。ちなみに22歳まで本を読んで来なかった人間(読めなかった)ですし、神保町に入り浸っていた人間でもありません。
ただ、いま純粋な気持ちで小説を読む楽しみを知りました。
なぜいま?
ずっと、目先の効率のようなものを追いかけてきて、スキルアップを優先させて、ビジネスに関する本を中心(といっても、こちらも22歳以降のこと)に読んできたから。
心が問われる40代(といっても、40代でいられる時間も半分を経過していますが)。心のカロリーとなる「体の芯から感じる小説」の時間、大切にしてきたいところです。
ますます、多忙になるわけで、だから、なおさら「心にカロリーを」充填し、おまけに「文章を書く」のがうまくなる。そんな小説との時間を育んでいけたらと思っています。