「言葉の感覚」が変わる瞬間
From:高橋政史
恵比寿のカフェより、、、
「頭がよくなるって、こういうことなんだ…」
そんな面白い体験をしました。
「これって、頭がよくなるってこと!?」
という気づきを得たことは何度となくありました。でも、今回の「頭がよくなるって、こういうこと…」という体験は、これまでのそれとは明らかに違うものでした。それは、「言葉の感覚」変わった瞬間に訪れました。
昨日、、、
「言葉の感覚」が変わる瞬間に遭遇しました。
あなたは、これまで
「言葉の感覚」が変わってしまった…
そんな体験をしたことがありますか?
頭がよくなる=後戻りできない
私自身、これまでも、「あっ、言葉の感覚が変わったかも…」という思うようなシーンに人生で何回が遭遇しています。でも、今回のそれは、これまでものとはまったく別物でした…。
もう、後戻りできない…。
それくらいの衝撃がありました。
今日は、私が今日まさに体験してしまった…(もう、後にはもどれない)「言葉の感覚」が変わった不思議な体験についてお話しします。今日の体験なので、私の中ではできたてホヤホヤ。でも、その分、言語化がうまくできない部分もあります。ですから、もしかすると、「えっ、これっとどういうこと?」と、あなたがおもわず突っ込みたくなるようなツッコミどころ満載なところもあります。でも、あえて公開します。なぜなら、この瞬間につかみとったホヤホヤの体験から生まれた「仮説」をあなたとどうしても共有したくて…。
そして、その「仮説」の中には、ずっと私自身そして今、方眼ノートトレーナーの0期のみんなと追求しているテーマ「教えない教育」について「仮説」も含まれています。
「言葉の感覚」が変わった体験とは?
その体験を通して得た「仮説」とは?
それでは、はじめましょう。
100個の箇条書きの
表情が変わった瞬間、、、
いま、方眼ノートトレーナー0期の2日間講座のA日程とB日程を終えました。
そして、いまは、ほぼ連日、参加されたメンバーとの対面しています。トレーナーのみなさんとともに過ごす時間が増えていくにつれて、、、
「じつは、対話を重ねると、その人の書く文章をこちらが受け取る器がとてつもなく大きくなるんだ!」
「以前、いただいた文章の中に潜む宝(意味や価値)を膨大に発掘できるようになるんだ!」
「そうか、この一文には、そんな深い背景(物語)があったんだ!」
と、お一人お一人が放つ「文章(言葉)」から伝わってくる情報量と密度と奥行きが変わっていくことを身をもって体感しています。
どういうことかというと、、、
方眼ノートトレーナーになる方には、事前に課題が出される(ビックリするくらい)。トレーナーになる方は、その課題を乗り越えて行く中で、方眼ノートメソッドについての知識や考えて方を身につけていきます。そして、同時に、ご自身が指導する立場になったとき最重要な「教えない教育」の本質を身体でもって吸収していきます。
その事前課題。課題図書を読んだりや事前に私のほうで用意した特別動画を見るなどのインプットもたくさんあるのが、それ以上に、「書く(アウトプット)」課題が多いのが特徴。そして、ここでみなさん大量に脳に汗をかかれます。
その「書く(アウトプット)」課題の中で、あるテーマについて、100のことを箇条書きで書きだしてもらうものがあります。私自身、2日間講座の前に、全員のその100個の箇条書きを読み込みます。
そして、2日間講座を終えて、数日経ってから、再度、その100個の箇条書きの「文章(言葉)」を読み返していきます。今日の午後も、そのひとときでした。その瞬間、身体に電流が走るような衝撃とともに、私の中で「言葉の感覚」が変わりました。
講座前に「100個の箇条書き」を読んで感じていた感覚とは、まるで別物の表情を「その文章(言葉)」が見せていたのでした…。鳥肌が立つほど、目にする言葉から受ける「感覚」が変わってしまっています…。
鍵は「時間×直接対話」
何が起きているのか?
これは、ごくごく個人的な仮説ですが、、、
1.ある人の「文章(言葉)」を読む…そのときの「感情」
2.ある人と長時間の時間を過ごす
3.ある人と直接対話を重ねる
4.ある人の「文章(言葉)」を読み返す…いまの「感情」
5.そのときの「感情」といまの「感情」のギャップ
が10倍いやヘタすると100倍くらいインパクトをもっているのです。そう、「言葉のもつ響きや奥行きや桁違いに変わった瞬間」が訪れます。
1.文章とう情報
だけに触れているときには、感じたり、見えていなかった情報が、
2、3.直接会う・対話を重ねる
ことで、その人の記憶の中にある膨大な暗黙知をはじめとする情報が私の脳と心と身体にインストールされる。結果、、、
4、5.ケタ違いの「感情」の変化
がそこに生じている。
というわけです。
4つの仮説
この体験を通して、いくつかの仮説をつかみとりました。それは、
・文章だけで、その文章の背景にある情報を判断することはできない。もし、文章だけで、その文章の背景にある情報を無視して、あるいは自分の解釈(経験)で補って幻想をつくりあげるとしたら(でも、ネット社会を生きる私たちはいつもそれをしている)、そこにある「背景(その人が生きてきたすべての中に潜む感情を揺さぶられる膨大な情報)」がスッポリ抜けてしまう。そして、そのスッポリ抜けた何かの中に、人生最大の学びが潜んでいるにも関わらず…。
・スマホを捨て、人と対話しに行こう!です。Googleやソーシャル・ネットワーク上の「限られた情報」ではなく、人という宇宙レベルの情報ソースをもつ存在に触れる。Googleで検索できる言語や写真を使って表現される情報というのは、私たち人間が扱う情報のごくごく限られたもの。なぜなら、ほどんどの情報は私たちの身体や心の中に言語化されることにひっそりと佇んでいるから。そして、言語化されない情報は、直接対話を通して時間を重ねて行く中で、自然と相手から自分へ、そして自分から相手へとトランスファー(移築)されていく。
・ライブを開こう!言語化できる情報は「動画」や「テキスト情報」で提供できる。でも、その人が身をもって体験してきた「体験知」のほとんどは、リアルな場という「タテ糸」と、その場(時間)を重ねるという「ヨコ糸」が織りなすかけがえのない「リアルな対話」を通してでしか手渡すことができない。
・教えない教育は、1.ネットで検索できる膨大な言語化され体系化された知識情報を扱える「知的生産力」を身につけさせてあげることと、2.Googleでは検索できない言語化・体系化されない体験情報を吸収できる「リアルの対話の場」に遭遇する機会があるという「2つの前提」のもとに花開く。
他にも、いつくもの「仮説」を見つけました。
この「言葉が変わる瞬間」の体験を通して、私自身、これまでにない「学び方」をいままさに学んでいる…。と思っています。
私が0.001%も知らない「現場」をもつ方眼ノートトレーナーの方々が、それぞれの持ち場で「体験」してきた「リアルな知」を、直接お会いして、対話を通して吸収させていただくことにまさる「学び」はないと…。
そして、この私自身がいままさに体験・体感している「本当の学び」を、方眼ノートトレーナーとしてスタートを切った0期のみなさんと、さらにこれから1期になるみなさんたちとともに育んできたい!と心から思ったしだいです。
あなたの中には、最近、これまでの学びを一変させるような「言葉が変わる瞬間」のような「学びの転換点」はありましたか?
本当の学びとは、これまでの学びが、音を立てて崩れていくような「学びの転換点」に遭遇したときに訪れる。そう思うわけです。
それでは、またお会いしましょう。
高橋政史