落ちこぼれる理由は「1つ」
From:高橋政史
渋谷のスタバにて、、、
「今よりも成功したいと思う」
と、多くの方が思うではないでしょうか。では、成功する上で、この「土台」をはずしてはならないものがあるとしたら、何でしょうか?
物事が成功するかどうかには、いくつもの理由があります。ただ、「ここ=土台」が間違っていると、せっかくの理由(チャンス)は手のひらからすり抜けてしまいます…。
そもそも、その「土台」とは何か?
✕「落ちこぼれ…」という認識
◎事実を観る→必要な次の一手を打つ
成功するための「土台」はいくつかあります。
中でも、その土台の底辺部分にある大事な「土台」がありあるのですが、何だと思いますか?
それは、「落ちこぼれない」ということです。
とても、大事なことなので、もう一度言いますね。
成功の土台の土台にあたる部分は、「落ちこぼれない」こと。
どういうことかというと、、、
✕「落ちこぼれ…」という認識
◎事実を観る→必要な次の一手を打つ
ということです。
成功する人は、
事実を直視し、必要な次の一手を打ち、日々、結果(ゴール)に近づいていきます。
これに対し、成功しない人は、
「落ちこぼれだ…」という認識(思い込み)に縛られ、「可能性(次の一手を繰り出すなど)」の器にフタをしてしまいます。
つまり、こんな感じ、、、
✕「自分は落ちこぼれだ…」という認識(思い込み)に縛られ、「落ちこぼれの自分」が生きる世界の住人としての物語を生きるようになる。そして、自分(認識=思い込み)でもって、自分がまるで鎖に繋がれた象のように、その世界にとらわれてしまう。
◎「自分は何ができて、何ができないか」という事実だけにフォーカスし、その事実に基づき、冷静に状況を分析して、必要な次の一手という可能性を見出していく。そして、それをゲームのような感覚でたのしんでいる。
こう表現すると、、、何か、重い感じがするのですが、でも、大丈夫。これから、この「人がなぜ落ちこぼれるのか?」そのあっと驚くほどシンプルなカラクリについてお伝えしていきましょう。
「落ちこぼれ」をつくるある「2文字」
これからの話しを耳にした瞬間から、「落ちこぼれの世界なんて、じつはなかったんだ…」「落ちこぼれの世界は、自分がつくった幻想の世界なんだ…」と気づき、「な~んだ」という安堵感とともに、「じゃあ、次の一手、次の一手」と行動を繰り広げたくなっていくことでしょう。
ズバリ、結論から言います。
もしもあなたが、過去に「落ちこぼれ」という認識にとらわれたことがあるとしたら、それは、ある2文字がそこにあったからではなかったでしょうか。
その2文字とは?
「比較」
の2文字です。
落ちこぼれる理由は、たった1つです。
それは、「比較」することで、そこに光と陰が生まれ、その陰の部分を「落ちこぼれ」としてしまう人間の思い込みがそこにあるからです。
人というのは、他の何かと「比較」した瞬間に、一瞬で「落ちこぼれ」になります。で、これが一瞬のことならいいのですが、「比較」という引き金とともに心のなかに起こった一瞬の出来事がずっと、心をとらえて放さないことになることに…。
「比較」をした瞬間、
人は落ちこぼれになる。
ということわけです。
つまり、比較をしなければ、別に「落ちこぼれだ…」という認識は芽生えてきません。まわりから何かと「比較」をされ、「あなたは、落ちこぼれです」というレッテルを貼られない限り…。
でも、ブラック企業をはじめ歪んだ認識が渦巻くところでは、「比較」することで人を「落ちこぼれ」にすることで、自分の土台を築こうとする人がいることも事実です。
だから、そもそも、そのようなレッテルを貼られるような場所に、人間は身を置くべきではないわけです。そもそも、落ちこぼれというのは「イメージ≒認識」にすぎないので、あくまでも主観の世界のものであって、客観的なものではありません。まして、「落ちこぼれ」というレッテルを貼られたままだったら、その後の人生で、その「落ちこぼれ」というレッテルを剥がすのに膨大な労力と時間を「過去のその出来事<レッテルが貼られた>」のために費やすことになることになるからです。
「落ちこぼれ」という幻想の世界を脱出しよう!
これが私の実体験でもあります。
私自身、心に貼られた「落ちこぼれ」のレッテルを剥がすために人生で遠回りをしました。その遠回りした時間は取り戻すことができません。でも、私の場合は、その体験があるために、
「落ちこぼれ」という幻想の世界を生きないで!
ということ心の叫びとして届けることができるわけです。
私には、方眼ノートを真っ先に手渡したい人がいます。それは、
「落ちこぼれ」の世界の住人になってしまい、膨大なムダな時間を、「落ちこぼれ」のレッテルを剥がすために使っている人たちです。それは、かつての私です。私は、「落ちこぼれ」の世界の住人でした。そのクセが染み付いていて、そこから抜け出すのに扉を必要としていました。
そして、この「落ちこぼれ」の世界の住人だったからこそ、その世界から抜け出す「扉」を見つけ、自ら、新たな世界へと足を踏み入れて、目に見えてきた光景があるからこそ、手渡すことができることたくさんあると思っています。
「落ちこぼれ」=思い込み(認識)
ということを気づき、思い込みにフォーカスするのではなく、いつも「事実」をベースに、人生に必要のない(人生の遠回りの原因となる)思い込みを書き換えて、結果を生む新たな一歩を踏み出す「行動」を自らの手で、手元の方眼ノートの上でに描き出すことができるようになってもらいたい!
そんな思いで、今、私は方眼ノートを手渡す活動をしています。
私は、落ちこぼれでした。
小学校6年間、ずっと…。
でも、中学に入り、人生を変えてくれる恩師と、恩師が手渡してくれた「ノート」によって、短期間で、それまでの6年間が嘘のような「大逆転劇」が幕をあけました。
幻想(ファンタジー)の世界から、
現実世界(リアル・ワールド)へ
そして、のちに大人になり、書籍を書くようになり、自分の根源的なところにアクセスするようになってから、、、
「あっ、そういう意味だったのか…」
と、私がいまなぜ、方眼ノートを使い・広めることに全精力を注ぎ込んでいるのかを目の当たりにするようになったのです。
もしもあなたが、今、大きなチャレンジをしようとしているなら、、、
もしもあなたが、これまでの自分とは違う世界へ飛び込もうとしているなら、、、
もしもあなたが、自分の未来を決定づけるようなターニングポイントにいるなら、、、
ぜひ、他者との「比較する」ことで、
「落ちこぼれる」ことのないように!
「落ちこぼれ」なんて、幻想です。幻想の世界にとらわれるのではなく、現実を生きましょう。現実の世界は、頭の中や心の中で考えいるような思い通りの世界ではなないかもしれません。でも、それこそが生きることの醍醐味。
そして、他人との比較から生まれる幻想の落ちこぼれの世界ではなく、現実を直視して見つけた「そこにある事実」をベースに、あなたの想像力から、可能性の扉を開く「行動(次の一手)」をたくさん繰り出していき、「欲しい結果」を手に入れていってください。
それでは、またお会いしましょう。
高橋政史