「学び方」を知らずに僕らは大人になった。
高橋政史です。
「戦争を知らずに大人になった」
という歌詞と音が小さなときに体に染み付いた。でも、その本当の意味は、誰一人、気づいていない。
私自身、いまも、たぶんそう。
一番リアリティあるのは、、、
第二次世界大戦当時、戦地にいた叔父の話。
そして、当時まだ10歳前後だった父がB29に襲撃を受けた話。
それでも、話の世界。リアリティはあるけど。
私たちは、大事なことを知っているつもり、できているつもり、で大人になる。
そして、そのことは本当なら子供のうちにリアルな「わかる」「できる」体験として、心に、体に刻まれるべきもの。
なぜ、このようなことを思ったのかというと、、、
昨日いただいた一通のメールに深い何かを感じ、私の中で
「学び方を知らずに僕らは大人になった」
というフレーズがこだましました。
一昨日、文部化科学省から、学習指導要領が発表され、2020年のセンター試験廃止に向けて時計の針が刻まれた。
明治の教育改革以来といわれるほどの教育改革は、学校や塾での「教えてもらう学び」から「学び方」を手渡す本当の学びへのシフトをもたらす。
そんな最中、もらった一通のメール。
それは、特別支援学校の教師の方からのメールです。そのメールの文面の一部を紹介すると、、、
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母親いわく、
「人生の中で、いまがいちばん書く
ことの意欲があります」
この子は、特別支援学校中学部の男子生徒。教師や親のサポートがあっても下の名前のひらがな3文字を書くことも拒否するほど、書字に困難さをもつ。
でも、そんな彼が、教師との対話を通して「黄金の3分割+ロジカル接続詞+…」で整理して方眼ノートに書くことを数回経験すると、3文字以上の文章をしっかりと書くようになりました。
その変化を受けて、母親の言ったひと言が、
「人生の中で、いまがいちばん書く
ことの意欲があります」
というひと言です。
そして、もうひとり。
「算数とか数学とか暗記だと思ってた。だから、計算とか時計とかの問題を出されるたびに、こんなに覚えられるかーーー!って思ってた。これ(黄金の3分割)じゃないやり方で、プリントみたいなの渡されたら、マジいじめだわっ」
と話すのは、今では数学の問題をすべて黄金の3分割(方眼)ノートで解くようになった特別支援学校中学部の女子生徒。
このふたつが思い浮かびました。
特別支援学校ですら教えてもらえなかった「学び方」を、ぼくからではなく、「ノート」から学び始め、その結果、
「もっと早くこうやって学びたかった、学ばせたかった」
という心の声が、本人や親御さんの言葉になっているのだと、ぼくは思います。
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その一部を紹介しましたが、私自身、、、
「学校や塾で、僕たちは何を学んできたのだろう…」
そもそも、
「学び方を知らずに僕らは大人になった」
ということが、どれほど今の知識社会、これからのAI社会に向かっている私たちにどれほど大きな穴をあけているか…
そのことを思えば思うほど、
「学び方」を手渡す。
ことは、子をもつ親として、一人の大人として必須科目である。と思うわけです。
そのことを、ひとりの教師の方そして、教え子の生徒さんたちがその「実践」を通して教えてくれました。
ちなみに、この特別支援学校の先生は、0期で方眼ノートトレーナーになられた方です。
その先生は、メールの文面の中でこんな話もしてくれていました。
「(養成講座が)過去最高のセミナー受講料でした」
「公務員なので、セミナー受講費用トレーナーになることで講座で回収することはできません」
「でも、わたしがケアしたい人には手渡してあげたい!」
「自分のケアしたい人の価値は、受講費用以下ですか?を自問しました」
「損か得かと言っている自分を、心の声が説き伏せました」
「わたしがケアしたい人は、セミナーの受講費用と天秤にかけられるものではありません。当たり前ですが、受講費用とは天秤にかけられないほど価値のある人たち、それがわたしのケアしたい生徒、親御さんたちなのです」
「で、教育ローンを組んで受講しました」
その先生は、2016年の1年間、生徒さんひとりひとりに方眼ノートを手渡し、ホワイトボードに「黄金の3分割」を書いて授業をしてきました。書いたホワイボードの枚数は数百を超えていました。
その画像をよく全国の方眼ノートトレーナーのつどう秘密の学習サイトにアップして、解説してくれいていました。
この先生をして、そして、その生徒さんをして考えさせられるわけです。
「教育って、何だろう?」
って…。私自身、今だから告白できるのですが、小学1年のとき当時の特殊学級へ先生に何度か連れていかれたような生徒でした。まるで勉強ができませんでした…。
たぶん、このブログをお読みのみなさんには想像つかないと思います。
学年1、2を争うくらい勉強がまるでできませんでした。
勉強ができないだけならまだしも、もう一つ学年1、2のものがありました。
それは、ケンカです。
よく暴力をふるいました。
結果、親が何度、友達や、見知らぬ上級生の家にいっしょにあやまりに行く…というようなことがしょっちゅうでした。
そんな私が、今も心の中にいます。だから、本物の教育家の先生に触れると、心の底からしびれるわけです。
「子供のころに会いたかった…」
じつは、そんな思いもあり、「方眼ノートトレーナーの養成をする」という私にとっては清水の舞台から飛び降りるような決断を一昨年の年末にしたわけです。
それは、本物の教育家の先生に出会うために。そして、そんな本物の教育家の先生たちとともに、
「学び方を知らずに大人になった僕ら」に、そして、
「学び方を知らずに大人になっていく子どもたち」
に、「学び方」をそのタイミングで手渡してあげたい!と心から思って。
人には原風景があります。
私の原風景のひとつは、
小学1年のころ、渡り廊下に、朝から夕方まだ立番をさせられていたシーン。
校舎のむこうに顔を覗かせる校舎の上の雲と青い空。
あのときの自分は、いま、私が本物の教育家の方々と「学び方」のムーブメントを
起こそうとしていることなど、1mmも想像できなかったかと思います。
その小学1年のときの私のような生徒さんにも、
「学び方」を手にして、
「人生の中で、いまがいちばん書くことの意欲があります」
という瞬間と、未来に遭遇してもらいたいから。
だいぶ、長々と書いてしました。
きょうは、このブログをお読みのあなたに、私が、
「なぜ、方眼ノートなのか?」
「なぜ、方眼ノートトレーナーの養成をするのか?」
そこにある原風景と、本物の教育家の方々に日々教えてもらっている最高の学びを共有したく書きました。
あなたは、今日のブログを読んで、何か感じるところがありましたか?
なにか、あなたにとって、ひとつでも、感じる何かがあったならうれしいです。
それでは、またお会いしましょう。
高橋政史
追伸